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山掘り株崇拝は
ラン界の大発明を無視、否定するもの
ランの王道は「育種」である。
ラン栽培の王道はSUGOI-neで栽培することである。
山堀リ株は・・・直ぐにSUGOI-neで植えること。
SUGOI-neで増殖して・・・保存すること。
現在でも、山堀り原種ランを・・・別格の貴重株と思っている愛好者がいるようである。
古典園芸時代にランの人工発芽が出来なかった・・・良き時代???の残滓の思想。
これが東洋ランのみでなく・・・洋蘭界でも見られる時がある。
ブログなどを見ていると・・・そういうものが目に入る。
この山掘り株崇拝というのは、
1852年 ドミニー博士の親株ラン菌播種法の発明
1922年 ナドソン博士の無菌播種法の発明
1960年 モレル博士のメリクロン発明
この偉大なラン界の革命的な、今日のラン界の隆盛を築いた発明を、
全て無視、削除するものである。
自生地の山から株を掘ってきてそれでよいのであれば、
この3大発明は全然意味の無いものである。
こんなことでは、ランを全て絶種させることになる。
そういうことで、カンランは現在ほとんど絶種に近い状態。
洋蘭のランでも・・・絶種に近いものはワシントン条約で保護の現状。
しかし、洋蘭の分野でも、山堀り株崇拝があるのは、
この人は最初からそんな考えになったのではない。
必ず、先輩か、業者か・・・・そういうことを植え付けた人がいたはずである。
貴少こそ・・・ランの値打ち!
極端にはシブリングを原種でないとまで・・・。
そこまで、山掘り株を崇拝しても・・・・
ラン菌の生息しないコンポストで植えるという・・・・何がなんだか支離滅裂。
なぜこういうことを書くかといえば、
山堀リ株をラン菌の生息しないコンポストで植えて、
新しく伸びた根は、菌根ではない!
つまり、地上部は山堀株であるが、根は・・・ランの菌根ではないということである。
山堀リ株を水ゴケ、バークなどで植えて肥料をやれば・・・、
鉢の中の生態系は、自生地とは異なる黴菌、病害菌ウヨウヨの状態。
こういうことで・・・これまで貴重な遺伝資源の原種が失われてきた。
こういうことは、ランの店をやっている人は・・・ほとんど説明なし。
植物分類学の説明で売る。
自然界では、交雑など当たり前に普通に行われている。
人間が行えば価値が無い???
昆虫が行えば価値がある。
プラントハンターが山から収奪すれば貴重種。
自然保護の観点からすれば・・・
いまどき、プラントハンターがいるということが・・・信じられないようなこと。
アレコレ言っても、原種山掘り株崇拝というのは、
山に蘭があるから言えるもの。
そんな崇拝が出来なくなるのも・・・・時間の問題であろう。
科学の進歩、発明に脊を向けた業界には・・・明日はない。
秘密結社に似た愛好世界しかないからである。
地球環境、生物生態系、遺伝資源の保護という大きな枠組みが世界に作られ、
そういう中でしか蘭の愛好が出来ない状況になるからである。
おおらかに・・・無神経に・・・植物採集できる状況では無くなる。
育種出来ない人は仕方ないが・・・・
愛好の世界も「身の丈」。
ランの5大属は・・・既に先輩が・・・行っていて、後からの人の出番はない!
そういうことで、リカステに夢を持った人が出たわけだが、
その次のランで・・・食べて行けるランは・・・・????
プラントハンターが採集した株をカネで買って楽しむよりも、
交配育種して新しい自分の花を作り・・・誰より早く最初にその花を見る愛好は、
ずーと深いものがある。
原種をカネで買う愛好は・・・蘭の愛好では序の口であろう。
カネ出しても買えないランがあるもの・・・・
だから・・・・少し高価な株にこころが動くが、業者が売る株などは、
本当に素晴らしい遺伝子を持ったものは少ない。
交配して初花を見られるまでの数年間は・・・少なくとも心の中で花を楽しめる!
そうすると飽きないで・・・ラン栽培できる。
だから育種が蘭栽培の「王道」なのである。
自分が見たい、手に入れたい花は、山から掘った株でなく・・・自分で創る。
そういう交配をすると・・・30年、50年飽きないでランと暮らせる。
育種しない人は・・・次から次へと蘭遍歴しなければならない。
そして、小さな優越感を得るために・・・山堀り株崇拝に走る。
業者からみれば・・・イイお客さんである。
業者も次から次に売れるランを探さなければならないので大変である。
ビジネスで育種すれば・・・
育種も良い花が咲かないと・・・経営が破綻するが・・・
でもアマなら・・・趣味で交配すればよいではないか。
山堀リの珍種を探し買うより・・・
優秀な子を産む・・・素晴らしい交配親を手に入れるのは・・・
もっと、もっと困難であるが・・・・。
ラン栽培はコンポストに大きく左右される。
世界を席捲した大蘭園が破綻に追い込まれたのは育種の壁と、コンポストの問題だった!
そういうことでSUGOI-neは生まれたものである。
ラン栽培の王道は、ラン自生地の根の生態系を再現したコンポストで栽培することである。
そうすれば、貴重な原種も保存できるし、
交配して創られた個体も保存できる。
日本の蘭界は、今、変革を余儀なくされている。
趣味愛好の人は、生活の中で花を楽しめばよいから気楽なものである。
業者が珍しいランを輸入すれば・・・買って楽しむ・・・・
カワイイ・・・素敵・・・・!
ラン業者が苦境・・・など全然カンケイナイ。
やはり、ランは趣味で楽しむものと・・・宇井清太もつくづくこの頃思う。
でも・・・それでは育種の夢は達成できないが・・・・。
農業の一部としてのラン栽培は、規格化された大量生産、大量消費で行われて来たが、
不況の中で飽きられ、洋蘭産地は消費低迷と価格暴落で、
生き残ることが出来なくなり、鉢物産地は壊滅。
そういう中で、専門の洋蘭ショップは・・・ホームセンターと違う希少ラン、
原種に差別化の商売にならざるを得ない。
しかし、こういう経済の中で、熱狂的なラン愛好の人口は増えない。
ラン友会の会員は増加していない。
理由は、テレビを見ても、本を読んで作っても・・・ランは難しい・・・。
本当は・・・安直な・・・ランをナメタ・・・栽培法が普及。
コンポストも・・・ラン菌のいないもの。
菌根植物のランをナメテきた。
経済大国日本の園芸界もカネにものを言わせて、秘境から買い漁った。
世の中、カネのあるところに・・・ものは集まる仕組み。
資本主義は「蒐集」である。
日本のバブル。
経済大国になった日本は、かつて英国が植民地から植物を蒐集したと同じように、
ランの原種の蒐集を行った。
栽培法が確立していない中で、原種ブームは仕掛けられたもの。
砂上の楼閣のようなランブームであった。
更に日本の愛好家の温室面積は非常に小さい。
栽培出来る鉢数は限られている。
更に、世界の蘭界を沸き立たせるような原種は・・・もう無いかもしれない。
ランのプロの世界は・・・非常にきびしい状況になっている。
ラン展の興行も同じ。
何時も市場に出回る・・ホームセンターで売っているランでは集客できない。
入場者に感動を与えることは出来ない。
入場者激減を覆す術が無い状況。
こういう状況を打ち砕くのは、常識を覆す発明しかない!
異端者の発想。
横並びの村社会の中からは生まれない!
こういう厳しい環境であるが、こういうときに新しい芽が生まれる!
カネで買う愛好ではなく、ランが本当に喜ぶ栽培を行う愛好である。
カネのかからない・・・じっくり腰を落としてランの元気を・・・楽しむ本当のラン愛好世界である。
SUGOI-ne。これはランの、植物のコンポストの常識を根底から覆すもの。
SUGOI-neは、こういう愛好をサポートする。
SUGOI-neの崇拝者の年々増加している。
ラン界の新な未来を拓く希望が・・・SUGOI-neにある。
ようやく宇井清太の栽培法が拡がってゆく・・・。
メリクロンによるランの大量生産が壁に当たり、
原種が一巡した現在、
次の蘭界の時代は、
SUGOI-neによるランの本当の栽培の普及の時代になる。
これから世界に普及を広げてゆく・・・・
SUGOI-neを超えるコンポストは今後開発されることはないからである!
そして、荒廃した自生地を再生を・・・・
勘違いしてはならない。
一番愛するランは自分が交配して創った花である。
宇井清太も50年のラン栽培の中で、原種、名花も集めに集めたが、
それはカネで集められるランを手に入れたに過ぎない!
どんなに沢山の花を咲かせても・・・・他人が創った品種。
切花で経営している者であれば・・・・沢山の花を咲かせるのは・・・・当たり前の話。
ラン展での栽培賞などは・・・当たり前の技術。
最後は、やはり・・・自分で創ったものが・・・
いい花が咲かないから・・・より深く勉強もすることになる。
一生続けるラン栽培の原動力は・・・この挫折感なのかも。
来年こそ・・
来年こそ・・・・・。
ランの趣味愛好の世界で、原種愛好が「王道」のように思っている人がいる。
そして山堀株を崇拝している人がいる。
自生地で生態系が破壊され、絶滅に近い状態になると、
山堀リ株が「希少」ということで・・・希少価値に喜びを見出すという、
一種の歪んだ優越感を満足させる愛好が出てくる。
しかしそれはラン愛好の「王道」ではない。
原種というのは遺伝資源として意味があるのであって、
育種しない、ランを進化させない場合は・・・蘭界をより発展も隆盛もさせない。
希少価値というのは、育種して創りだすものである。
ここまで生物の絶種が問題になっている時代に・・・・
江戸時代、明治時代、大正時代、昭和の初期時代の・・・・山からの収奪時代の愛好と、
同じ姿であってはならないと宇井清太は思っている。
希少種、珍種はラン図鑑で・・・楽しめばよいのではないかと思っている。
時代の空気が読めない愛好の世界に発展はないからである。
ランの園芸店の中にも、全然育種しないで、原種のみで商売しているところがあるが、
職業選択の自由なので・・・商売も人それぞれであるが・・・・。
適地でもない温室で、ラン菌のいないコンポストで栽培すれば、
早かれ遅かれ・・・いずれ枯れるからである。
適地適産を無視し、希少価値を求める愛好は、ランを滅ぼす。
本当に原種を愛するなら、適地の人が作り、SUGOI-neで栽培することである。
ランの原種に珍種、変種の貴重な遺伝資源は、
ラン界の未来に、次の世代に残すという・・・責務がある。
こういう原種を、個人の愛好のためにコレクションするというのは、
こういう意味で、大きな責任を伴う。
生き物のコレクションは、美術品と違って、
毎日、潅水などの管理をしなければならないので、比較にならないほど大変である。
そういうことで、戦前からの名品コレクションはほとんど現存しない。
自生地の荒廃が進むとき、現地からの珍品、変種の発見は、
年々減少して、現地より・・・日本に多くの名品がある状態のランも多い。
経済大国日本に・・・狂蘭の原種ブームがもたらした功績????
資本主義は蒐集。
エジプトの至宝が、エジプトより英国に多くあるのと同じ理屈。
この30年間の日本のラン蒐集の熱情は・・・大したもの。
しかし、企業30年説ではないが・・・・
時代は変化する。
これからは、日本のラン界も育種という「王道」を歩まざるを得ない。
しかし、個人が愛好のために集めたコレクションというのは、
秘蔵ではなく・・・遺伝資源からみれば死蔵である。
原種は育種の素材である。
原種そのもの愛好栽培というのは、未来のラン界を発展させない!
新しい品種を生み出してこそ・・・価値があるというものである。
カネで集めたコレクションというのは、美術品でも、蘭でも同じことであるが、
コレクターのレベルと理念がとわれる。
コレクションする目的と・・・蒐集品のレベルとスケールである。
至宝になるまで蒐集すれば・・・素晴らしいことであるが、
近年の日本の蘭コレクションでは・・・・至宝になるまでのものは少ないようである。
小さな愛好レベルのコレクションでは、栽培者が故人になられた時、
ほとんどは、その遺株は・・・散って・・・。
次の人の所では・・・ほとんど枯れてしまう。
業者はワシントン条約から追われ、次々に新しい属に移り、
目ぼしい原種が枯渇するのも時間の問題。
そういうことで、現在、最も大切なことは、日本に現存する貴重な原種を、
枯らさないで、増殖して次の世代に残すことであろう。
次の新しい新種を作り出す遺伝資源として使うべきものである。
ここまで自生地の荒廃が進んでいる現状では、
ただの個人の愛好、優越感、達成感を満足させるコレクションから、
一つ上のレベルの愛好の世界を作ることが蘭界の方向だろう。
現在は、残念ながら・・・・原種は・・・蘭業者の商売のためにあるようなもの。
流行り廃れを・・・作りながら・・・・。
そういうことではなく・・・・
それには、適地適産とラン菌の生息するコンポストで栽培し、
貴重な原種を保存すべきである。
SUGOI-neはそういう理念で開発したものである。
プロは、本来SUGOI-neのような革命的なコンポストは、
自分だけ使って、市場制覇を狙うものである。
しかし、SUGOI-neは皆さんに等しく供給している。
何故なのか???
日本の全部のランがラン菌と共生して・・・・
元気に末永く・・・花咲かせて欲しいためである!
少しだけ・・・宇井清太に儲けさせてください・・・・。